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スピーチ作成マニュアル
僕はESSの顧問をしているのですが、スピーチの作り方の説明をしてくださいと頼まれました。二つ返事でOKし、ハンドアウトを作るつもりで書き始めたのですが、これが長〜いマニュアルとなってしまいました。文脈的にはESSのスピーチ・セクションのメンバーにあてたものになっていますが、いっそのことHPや英語スピーチ(日本語でも使える部分ありますが)に興味がある学生さんに公開してしまおういうことにしました。よければ参考にしてみてください。なお、コピーライトは僕にありますので、無断に使用したり(個人的な使用はOKです)、引用したり、勝手に書きかえたりしないようお願いします。
目次
吉武正樹の即席スピーチマニュアル(2005年3月20日)
スピーチのトピック選択に思う―「いいスピーチ」って何だ? (2005年11月●日)
2005年3月20日(日)ESS春合宿
吉武正樹の即席スピーチマニュアル
今回、スピーチ作り方の説明をして欲しいということで、話をすることになったわけですが、はじめに一つ確認しておきたいのは、「私はスピーチの専門家ではない」という事実です(衝撃!?)。専門がコミュニケーションとはいいましても、どちらかといえば人間コミュニケーションという思弁的なものが中心で、技術的なことは不勉強です。ですから、ここで紹介するのは、もっぱら僕の個人的経験とそれに枝葉をつけた程度の知識に依拠するものであります。しかし、皆さんがこれからスピーチにチャレンジしていくうえで、私が話すことが結果的に何らかの示唆を提供するものであれば、それはそれで意義があったというものです。その点を確認していただいた上で、「スピーチを学びたい!」と意欲に燃える皆さんに対し、早速ご説明することにいたしましょう。
●そもそもなぜスピーチ?
ディベートにも、ディスカッションにも、スピーチにも、すべてに共通するのは「考える」という作業です。これらの活動はそれぞれの「深い思考作業」がなければ、普段の日常会話と変わりません。頭もよくなりませんし、注目するにも値しない発言で終わってしまいます。この「考える」、いや、「徹底的に考える」という作業を経て、では次に、それをどう表現するか、ここにおいてディベート形式なのか、ディスカッション形式なのか、スピーチ形式なのか、という違いがでてきます。ズバリいいまして、これらの違いは表面上の違いであり、「形式」の違いに過ぎないのです。
それなのに、なぜ「スピーチ」なのか?この問いを発することにより、僕は二つのことを意図しています。一つは「なぜスピーチが大切なのか」といった一般論、二つ目は「なぜあなたはディベート・セクションではなくスピーチ・セクションなの?」という個々の動機に関わる個別的なことです。
(1)まずは一般論からはじめましょう。人はなぜスピーチをするのでしょうか。考えてみれば、皆さんは(そしてかつては僕も)「たかが」大学生。なぜ「たかが」なのかというと、人がスピーチをする、つまり物申すということは今日にして自然なことではありますが、時や場所が変わればそれはさほど「当然」なことではないということを強調したかったから。例えば、60年ほど前の日本に遡ってみましょう。当時はまだ女性の参政権は認められていませんでした。つまり、「たかが女性」は日本の将来や社会の在り方に関して物申すことが出来なかったわけです。また、現在の北朝鮮を考えれば、女性はおろか、選挙そのものが成立していませんし、当然「言論の自由」といった概念も存在しないでしょう。これはスピーチというものが「民主主義」という社会の在り方と直結しているからであり、近代に入り人々が「自由」を獲得して以来、その自由を社会の成員全員に認める動きがあってこそなのです。皆さんは「たかが」と「されど」の間のきわどいところに存在しているんです。
ということは、スピーチをする、つまり物申すことは、今この場所だからこそ可能である、人類が勝ち得た「権利」ということになります。だから、「たかが」大学生、されど現在では「されど」大学生なのであり、個人があることに対し考察を深め、意見を持ち、それを表明することは、社会的に責任ある行為なのです。あなたの一言が社会を良くも悪くも変えることができる、社会に対し発揮することができる「力」なのです。政治に対して無関心な人間が増える今日、皆さんのような弁論を鍛えようと意気込んでいる若人をみていると非常に頼もしい!自分の思いを社会に表明することで、皆さんは社会の一員となり、社会のダイナミズムへの責任を負い、貢献しようとしている、「社会的・政治的人間=大人」となるべく、そのような「でっかい」ことを始めようとしていることは、自覚していてもいいことだと思います。
(2)次に個別的な動機について。思い出します、一年生の時のESS秋旅行。僕は最後までディベートかスピーチか迷っていました。発表の順番が回ってくるまで迷いつづけ、「はい、次、吉武」と僕の番が回ってきたとき、心のどこかではもう決めていたのでしょう、僕の口からは「スピーチに入ります」という答えが出たのでした。
あれから早14年半(え?まじ早!You will know…)、僕は以下のことを確信するに到りました。ディベートも大切、しかし、スピーチはその上をいく技術を必要とする「高度」な弁論スタイルだ、ということを(無駄に年月を重ねてきたわけではございませぬ!)。この点は100ぺん繰り返して言っても、世界の中心でどんなにでっかい声で叫んでもかまわないほど、揺るぎ無い自信を持っています。
まずディベートが求めるのは「即興性」です。しかし、それはエクステンポのスピーチでは求められますし、QAタイムでは不可欠な技術です。また、スピーチをする人はディベートする人がするのと同じくらいのプレパをしないと発言者としての資格がありません。「ディベートは敢えて肯定側と否定側と分かれることで思考を弁証法的に深めて行くのだ」というのは本当ですが、スピーチでもその作業を自分自身でやり終え、その上で自分の立場をまとめていくわけです。ではなぜスピーチがより「高度」かというと、これらに加え、スピーチには、自分の発言を言うだけでなく、それをいかに「うまく」言うかといった繊細な技術が求められるからです。つまり、ディスカッションもディベートもスピーチも形式の違いなのであれば、一番難しい形式がスピーチなのです。皆さんはそのようなもっとも難しい形式に果敢にも挑戦しようとしている怖いもの知らずの勝負師なのです!!
●スピーチセクションの活動をどうするか?
上に記したように、そんな「最強」のスピーチなのに、なぜ!なぜ!一体WHHHHY!!人気がないのか?盛り上がらないのか?それは、スピーチは自由度が高くなる分、ディベートほど確固たる準備の仕方が存在しているわけではなく、またその準備過程においてもテーマがそれぞれ別物であるため個別で行うことが多く、グループとして行動し、お互いに高めあうような練習の仕方を確立してこなかったためです(と僕はにらんでます)。ちなみに、「自由度」が高いということは、自分が訴えたいことを声高々に訴えることが出来るわけであり、その点ディベートはプロポが固定されている分、与えられた枠内で想像力を働かせなければなりません。しかし、ゲーム性も高いことがあり、「英語の訓練」という意味ではステップを踏んで英語力を伸ばせるという利点があります。
もしそんなスピーチ・セクションにおいて、「英語力を高める」ことができ、業績もバンバンあげれるような活動をしたいと望むのであれば、上に書いたことを念頭において活動を組めばいいのです。簡単簡単。
具体的には、まず、個別になりがちなスピーチ活動を、なるべくセクション内でお互いを高めあうような活動にすることでしょう。一人で考えることというのは独り言のようなもので、そこに誰か他者が入らなければ思考は刺激されません。よって、できるだけディスカッション形式などを取り上げながら、セクション員が何に興味があり、どんなスピーチを書こうとしており、どのような分析をし、どのような意見を述べようとしているのか、互いが互いを十分に理解しておくことが大切。そして、そのために意見を互いにぶつかり合わせて「研ぎ澄ます」ことが必要となってきます。
また、スピーチでは意見を即興的にバンバン戦わせるような場がないために英語力が伸びないのであれば、そのような場をどんどん作っていけばいい。プリペアードでもエクステンポでも、ただ発表するだけでなく、発表者に対し集中的にQAを行ったり、ディスカッションしたり、と、どんどん「考えながら英語を使う」活動を取り入れていけばいいと思います。水泳の比喩で言えば、もう水の中に入ってとにかく泳ぎながら泳ぎ方を学べ、ということでしょう。
●
スピーチのタイプについて:その1
前置きが長くなりました。本題に入りましょう(やっとかい!?)。まず手始めに、簡単にスピーチのタイプについて復習しておきましょう。ここでは形式の違いを見ておきます。
(1)
Prepared Speech:前もってテーマについて考察を深め、原稿を準備しておき、十分な練習を重ね、聴衆の前でベストパフォーマンスを披露するスピーチ。一般的には7分程度が多く、大会によってはその後即興で3〜4分程度のQAタイムがある。ちなみに、バリバリのスピーチをしておいて、QAで中学生並みの解答しか出来なかったという発表を見ると、妙に悲しくなる。(2)
Extemporaneous Speech: 準備なくその場でテーマを与えられ(一般的にクジ引き形式)、15分程度の準備時間を経て、聴衆の前にて即興でするスピーチ。基本は(1)と変わらないが、即興性が求められる分高度でもある。しかし、日ごろのトレーニングで鍛えておけば大丈夫。(3)
Impromptu Speech: 準備なくその場でテーマを与えられ(一般的にクジ引き形式)、1〜3分程度の準備時間を経て、聴衆の前にて即興でする(超ビビリ)スピーチ。あまり大会ではこのタイプは聞かないが、あれば上での秘訣を参考に。練習としては、時間も取らず、いい練習となる。
ちなみに、スピーチの活動においては、(2)や(3)を中心にやっていくといいでしょう。しかし、先ほど書いたように、言いっぱなしではなく、インターアクティブにする工夫が必要です。特に、ディベートのようにプレパの時期から事細かに調べていなければ(ExtempoやImpromptuでは仕方ないが)、論が非常に抽象的であったり、ヤワであったり、一般論であったりと、面白くないものになってしまいがちです。そういったスピーチを「許さない」!抽象的な説明が出てくればそこを突け!一般論が出たら本当にそうか突け!反対の例を挙げ、説明を求めよ!ありきたりの提案が出たら、「それくらいわかっているが出来ないのはなぜか!」と問え!提案の内容があいまいであれば、今日から何が出来るか問いつめよ!こういうディベートでのcross-examinationのような緊張感を保つことで、発言者は「ヤワ」な発言をしないように「十分に考える」必要があり、きちんと伝わるように丁寧に英語で説明する義務を負うことになります。
(1)のプリペアードに関しても、時折ローテーションなどを組んだり、定期的にまわしてやってみることもいいでしょう。互いのスピーチを知るチャンスにもなりますし、上で書いたような鋭く活発な意見交換が出来れば、発言者は時のリサーチできてない点や考察が欠けている点を認識できますし、場合によっては改善のために次回までに書きなおす必要さえ出てくるでしょう。
●
スピーチのタイプについて:その2
タイプについて、もう一点、スピーチの「目的」という側面から、二つだけ挙げておきます。
(1)
Informative Speech: 話し手が聴衆が知らないことを「おまえ知ってっか?これ知ってたらお得だぜ!」ってことで、知らない情報を提供するスピーチ。もちろん大会でも使えるだろうが、「主張」という側面が少なくなるので、あまり聞かない。(2)
Persuasive Speech: 「おい、みんな、それじゃだめじゃないか。俺はこう考えるんだ。どうだい?みんなでこうしてみないか!」と、自分の意見を訴えるスピーチ。もちろん、訴えるにはそれだけ自分が知っておかねばならないし、洞察が深くなければならないし、分かりやすくなければならないし、自然でなくてはならないし(演技ぽかったり語り口がオーバーだとわざとらしく聞こえる)、それでいて熱意が伝わらなければならないし、聞いた後から何をすべきか分かるぐらいに具体的でなければなない。
もう一つentertainmentというやつもあるが、それは会の挨拶やパーティなどでの実践的な場面でのスピーチなので、ここでは関係なかろう。語り方の練習という意味では、活動に取り入れてもいいが。
●スピーチの型について:その1
僕が学生のころは、Persuasive Speechを書くにあたり、Problem-Solving型(問題解決型)というのが主流でした。まずは、取っ掛かりとしてこれを基本形として簡単に触れておきましょう。
Problem-Solving型のスピーチは大きく二つの構成に分けられます。一つ目は「何が問題か」という現状分析、二つ目は「その問題をどう解決するか」という具体的提案です。
(1)ではまず前半部の「現状分析」から始めましょう。現状分析(ASQ=Analysis of Status Quo)をするには、まず以下の3点について、自分なりに答えを見つけてください。
@
Problem: 何が「問題」なのかA
Harm: 問題によって引き起こされる「害」とは何かB
Cause: そもそも問題の「原因」は何か
です。タイムラインにそって書けば、Cause
→ Problem → Harmということになるでしょう。注意するべき点の一つは、問題をどこに設定するかによって、何が原因で、何が害か、変わりうるということです。例えば、「A君がいじめられている」をProblemとしてみましょう。害は「A君が肉体的・精神的に苦しんでいる」ということ、原因は(1)A君の言動が独特であること、(2)攻撃的な子が多いこと、(3)他の子がとめないこと、といえるでしょう(図)。
「A君の言動」「いじめっ子」「助けなし」 → A君のいじめ → A君の苦しみ
←――――― 原因 ――――――→ 問題 害
しかし、考え方によれば、「A君の苦痛」という上で「害」に設定されているものを「問題」とすれば、害は「A君が楽しい学校生活をおくれない」であったり、原因が「A君がいじめをうけているから」となるでしょう。また、先ほど「原因」とされていた「A君の言動が独特である」を「問題」と設定すれば、害が「A君のいじめが起こっている」、原因が「A君がルーズであり、改善の努力をしていない」となします。さらに、今の害のところを「A君のいじめが起きてA君が苦しんでいる」まで設定することもできます。どこに問題を設定し、そこから害や原因をどこに求めるかは相対的なものであり、みなさんの判断が問われるところです(図)。
… Aルーズ・努力なし → A君言動 → A君のいじめ → A君の苦しみ → A君楽しめない …
原因 問題 害
原因 問題 害
原因 問題 害
原因 問題 ←――――― 害 ――――→
言いかえれば、このことは、何を問題、原因、害とみなすかとは、複雑な網目の世界をどう切り取るかという、「世界の捉え方に関する問題」(相対的な問題)なのです。よって、皆さんは発言者として、ここに問題を設定して、これを害とし、これを原因だとして世界を捉えるのがいいかを十分に考えて、一番核心を突いた世界の切り取り方を探るよう心がけてください。
もう一つ注意していただきたいのは、問題の幅をどれくらい取るかということ。あまりにも大きな問題を取り上げてしまうと、害も原因も大きくなり、スピーチとして一般的過ぎになりがちです。例えば、問題を「環境が汚染されている」としてしまうと、確かにそうなのですが、害は水質汚濁や大気汚染を始め、数え切れないだけのものが挙げられますし、原因も一つには到底絞れないでしょう。つまり、問題(害や原因もそうですが)の幅の設定も相対的であり、「そんなの問題視してもみみっちいすぎるよ」と言われず、かつ、「そんなこと問題にされても大きすぎて何から手をつけていいかわからんでしょう」と言われない程度のものを選ばなければなりません。よって、ここでも発言者自身の問題設定の力量が問われるところです。
ちなみに、設定する問題の幅は「何分のスピーチか」によって決まります。極端な話、30分のスピーチであれば、7分スピーチよりも倍の問題設定が出来ることになるでしょう(4〜5倍といわなかったのは、問題が広ければ、害も原因も提案もそれだけ多くの時間をさく必要が生じるからです)。
(2)前半がASQという現状分析だとすれば、後半の「解決の提案」についてです。問題は設定した。どんな害があるかも分かったし、何が原因かもわかった。では我々は何をすべきか。そうだ、原因を抹消してあげれば、問題がなくなり、害は起こらない!論理的にはこのような流れを辿ることになるのは想像に難くないでしょう。ということで、いかに「原因をなくすか」という視点から、解決策を提示する必要があります。
時間や原稿のスペースの都合上、提案が短かったり、少なかったりするスピーチがありますが、個人的にはこの部分は前半以上に大切な部分だと考えます。というのも、そもそもなぜこのテーマを自分が取り上げたのか?それはその問題を解決したいからです。なぜ現状分析したのか?そうすることで解決策を講じることができるからです。ということで、僕は個人的に提案部はある程度の時間をかけ、具体的に、帰ってすぐ実行できるようなものであればあるほどいい、と考えます。
大会ではよくある話ですが、もちろん、問題解決のために政府はどういう策を取るべきかを訴えるのも可能性としてはあります。そうすることで我々の進むべき方向性も描くことができるでしょう。しかし、聴衆は政治家でもなければ、官僚でもありません。「正論」を訴えても、訴えるべき人が聴衆にいなければ、「正論」をいう「意味」はそこにはありません。皆さんが前にしているのは(大抵の場合)同じ年代の大学生であり、一般人であったりするわけで、その人たちが聞いて「意義あるもの」でなくては、スピーチする意味はありません。よって、具体的に問題解決に向けて個人が取れる処方箋を(僕は敢えて「必ず」!といいたいのですが)入れることです。ですから、もし政策を提案するのであれば、できるだけどうすれば政治家に声が届くのか、どうすれば社会が壮動くのかといった提案を含むべきだと考えます。
●
スピーチの型について:その2
次にここでは、「基本的」な構成(流れ)と段落の構成について触れておきましょう。
聴衆に向かっていきなり「俺はこれが問題と思う!」と切り出しても、聞き手は準備ができていません(もちろん、そういう脅し的なやり方の効果を逆手にとってスピーチすることも可能でしょうが)。よって、最初にくるのは、そう、イントロダクション(導入)です。役割は二つ。
一つは(1)聴衆の関心を引くことです。「お、面白そうやな」と思わせる工夫を凝らし(ちなみにディベートではそういうテクは二次的です)、最初の30秒〜1分のうちに、いかに聴衆の心をつかむか、あなたの腕の見せ所です。良く使われるのは疑問文から始めて問いかけるとかありますが、使いすぎは禁物ですし、それはイントロだけでなく、部分的にどこでも用いられるテクです。ショッキングな内容やみんなが知らないような話から始めることもありますし、流行でみんなが知っていること、ジョーク、などなど、自分で工夫してください。僕は自分で書いた絵をイントロで見せたことがあります。
イントロのもう一つの役割は(2)テーマや主張のあらすじを提示することです。え?最初にいうともったいないやん!最後にどっか〜んと「私が言いたいのは…これだぁぁ!!!」ってやるほうがいいじゃん!っていう意見もわかります。しかし、典型的に英語のスピーチでは、イントロでスムーズにテーマに入り、イントロの最後で自分のスピーチの主張を手短に示して、聞き手に心の準備をさせてあげるのが一般的なのです。ちなみに、そのような部分をThesis statementと呼びます。
おっし、これで導入終わり。次は先ほどいった「現状分析」に入ります。何はともあれ現状を正しく捉えなくては物事は始まらない。しかし、難しいのは「現状分析」とは「私の解釈」であって、必ずしも聞き手が同じように現状を捉えているとは限らないのです。よって、ここからは「問題はこうだよ。だって考えてみろよ、こうだろう?例えばさ、…じゃん。だから〜なんだよ。」って一つ一つきちんと具体的に話を展開させていかねばなりません。論が飛んだり(リンク)、主張が不明瞭だったり、説明が足りなかったりすれば、自分の主張の「説得力」が弱まってしまいます。家を建てるときに一つ一つの作業を確実に行うのと同じように、「論」というものも確実性を持って「建てる」ものなのです。
よって、ここからは(1)段落内の構成と(2)段落間のつながりに気をつける必要が出てきます。
まずは(1)段落内の構成を見てみましょう。典型的な段落は、最初に段落のMain pointを述べ(間接的ではなく直接的に)、それに続いてメインポイントのサポートをつけるという形をとります(ちなみに基本は一段落に一つのメイン・ポイント)。サポートは、説明、例、比較、などを用いながら、自分が一番効果的だと思う方法でメインポイントをサポートします。例えば、メインポイントが「ゴミ問題が深刻化している」なら(時にそれは広すぎますが)、そのサポートは何トンのゴミが一日処理されているか、どれだけの増加率かという数字を出したり、他の国と比較したりすれば視覚化できるでしょう。サポートなしでは「言い逃げ」となってしまします。ディベートで言えば、Just assertionといってバックアップなしということで切られてしまいますね。
基本的に段落はこのように構成していきますが、次に(2)段落間のつながり、つまりリンクがしっかりしているかを考慮する必要があるでしょう。例えば、2段落目に「ゴミ問題が深刻化している」といい、3段落目に「ゴミ処理場が増え、付近の住民が被害をこうむっている」(害)と主張するとしましょう。これ自体はつながっているように見えますが、「ゴミが増える」→「ゴミ処理場が増える」というのは必然でしょうか。もしかしたら処理能力の限界に達していないかもしれない。ならば、どっかのサポート(必要であれば段落一つ必要でしょう)で「ゴミ処理場が必要なほどの増加」であること、もしくは実際に増えていることを述べておけば、段落間のリンクが強まるでしょう。ディベートでリンクがあるかどうかを疑ってかかるように、スピーチでも常に気をつけるべきポイントです。
論の流れとしては、上の「現状分析」→「解決に向けた具体的提案」へと向かいます。ちなみに、この2つをあわせた部分はbodyといわれ、「本体(本当の体?)」といわれるスピーチの核ですね。ここまでは上の段落の作り方を参考にかけると思います。もちろん、提案した解決方法が提示した原因への処方になっているのかも厳しくチェックしておいてください。でなければ、ディベートでいうPMA(Plan meet(s?) advantageでしたっけ?)のように、出した解決が原因の解消につながりません!ということになりかねませんからね。
はい、ここまでくれば後は結び、つまりConclusionです。一般的にはここでは(1)全体の流れをまとめること、(2)最後に余韻が残るような工夫を凝らすこと、という二つの役割があります。(1)に関しては、時間の都合上また同じ内容を繰り返すことができない場合が多いので、割愛されがちです。あっても1〜2行といったところでしょうか。よって重要なのは(2)です。「余韻を残す」といってもいろいろな方法があるでしょう。最後にまた聞き手の心に響くような鋭い問いかけて終わるとか、熱意を持って訴えることも一つの手でしょう。正解はないので、一番効果的だと思うやり方をためしてみてください。
まとめとして、「典型的な」流れを示しておきましょう。
Introduction: Catch audiences’ attention + Thesis statement
Body: Analysis of Status Quo
(1)
Problem + supports (2) Harm + supports (3) Cause + supportsSolutions 1 + supports
2 + supports
Conclusion: Summary + leave strong impressions
ちなみに、何が問題で何が解決でといったまとめをしたものを「アウトライン」と呼び(上のまとめを完成させたものと考えてよいでしょう)、それをもとに、実際に原稿にするときに段落の流れが分かるように箇条書きにしたものを「フローチャート」と呼びます(よってフローチャートに肉付けすればそのままスピーチの出来あがり!)。
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スピーチの型について:その3
もう一点。これまで、以上の書き方が「基本形」のようなことをいました。それはつまり、これがあくまでも「基本形」であって、現実には「型崩れ」がありうるということです。テニスの素振りも実際の試合ではいろんな球筋に対応できるような振りになり、習字も楷書を練習しつつも、やはり文字というのはつながっているので自然と行書、草書へと向かって行きます。それと同様、実際にスピーチを書くときは、以上のような基本をおさえつつ、自分が言いたいことを効果的に言うために、いろいろいじってOKということを覚えておいてください。
例えば、別に「害→原因」とならなくとも前後する方がいい場合もあるかもしれません(「かも」です)。また、段落を作るときに、具体的出来事を例として紹介する段落が2つ続くといった形もありでしょう。要は、アウトラインも自分の考えをまとめるためのきっかけに過ぎず、それをそのまま原稿として膨らます前に、一度柔軟に何をどの順番でどのように言おうかということを考え、その上でフローを作る方が「面白い」ということです。
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スピーチ作成の手順
ここらで実際にどういう手順でスピーチを作るかについてお話しておきましょう。
一番最初にすることは「聴衆分析」です。それはトピックを決める前に知っておくべきことです。だって、人間って誰に語るのかによって内容を変える動物でしょ?だから、内容以前に相手を知っておくべきなのです。しかし、皆さんの場合、大抵の場合は大学におけるスピーチ大会だと思いますので、そこまで深く聴衆分析はしなくてもいいでしょう。要は、自分と同じ世代の人たちに自分は何を語りたいのか、ということが事実的な出発点となるでしょう。しかしそれは聴衆が分かりきっているために、単に「聴衆分析」を省いているのであって、その必要性は変わらないので覚えておいてください。
さて、語る相手が同世代の仲間ということがわかりました。次に「何を語るのか」です。これは簡単そうで、そう簡単なことではありません。というのも、コンテスト用だからといって、もし真剣にスピーチを受け止めるのであれば、トピックなんて今日明日頭を絞ったからといって浮かび上がるようなものではないからです。手前味噌ではだめなのです!!!!
ならばどうするか。日ごろから問題意識をもって生活をすること、これが大事。皆さんは毎日を「今日の晩飯何にすっかなぁ」、「今日は〜の発売日だなぁ」、「彼女(彼氏)欲しいなぁ」、「飲みてぇなぁ」、「今日授業でたくねぇなぁ(←僕の授業では禁物です)」、などなど、そういう妄想だけですごしていませんか。皆さんは大学生なのです(と聞いて「やったー遊べる!」と考える人は耳かっぽじて聞けーー!!)。大人として社会に入る前の最後のモラトリアムにあり、この大学生活をどのように過ごすかによって、卒業時の、つまりは社会人になるときのスタートポイントが大いに変わります。ズバリ言いましょう。お勉強の頂点は高校3年の3月です。それ以降、急降下の一途を辿ります。
ちょっと話がそれて先生チックになってきましたが、では大学で何をするかといえば、単に量を詰めこむのではなく、自分が好きなことをとことんまで学び、とことんまで突き詰めて考え、また、十分に時間があるときにしか出来ないようなことを時間を使ってやってみる、という、ある領域の付加さを追及すると同時に自分の幅を広げる時期なのです!!ということで、単に日常生活にどっぷりと使った動物的生活を送るだけでなく(それも大切ですが)、日ごろから社会に目を向け、自分が知らなかったことについて学び、当たり前と思っていたことを反省的に捉えて考え、世界で何が起こっているのか、自分に何が出来るのか、しっかり考えておくこと、これこそ大学生に求められる態度であり、スピーチのテーマを決めるにあたり必要なことなのです。よって、皆さん、日ごろから鬼太郎のようにピーンと頭にアンテナを張っておきましょう(鬼太郎とはまたまた…ニューバージョンでさえ、かなり昔だろう…)。テレビ、ニュース、新聞、講義、人との会話、読書などソースはさまざまです。
そんな中自分に関心があり(なくては書いてても面白くない)訴えたいようなことがありそうなテーマが決まります。次はもちろん勉強すること。その中でも基本中の基本はなんと言っても「読書」です。まずは本を読みまくれ!です(ちなみにアンテナを磨くためにも日ごろから読書を心がけよう)。1冊で分かった気になってはいけません。言ったようにこれは現実解釈の世界であり、人によっては見解が違いますので。
最近ではインターネットも重要な情報源となりますが、インターネットは検閲がないので、情報源の信頼性に疑問があるページも結構あります。よって、本を読むとき以上に、誰がそれを語っているのか、その人は信頼おける人なのか、ということに十分な注意を払いましょう。
自分で本を読みあさる中で、必ずメモをとっていきましょう。カードを作ったり、ワープロに分類してまとめたり。それら集めた資料をもとに、次に、ブレインストーミングをやります。愛の嵐、いや、脳の嵐、つまりは脳の中に嵐を吹かせたように、集めた情報をいろんな角度から見なおしたり、つなげたり、順番に並べたり、といろいろいじって、そのテーマに関する大まかな言説地図のようなものを自分の手で作り上げていきます。一種のマッピングですね。
そしてこの図を見ながら、その地図のどこを問題にし、何を原因にするかなど、「設定」を決めていきます。そしたらそれを箇条書きにしてアウトラインを作ってみる(スピーチの型について:その3参照)。
どの段階においてもそうですが、特にアウトラインを作るとき大切なことは、自分だけでやるのではなく、ある程度の段階で頻繁に他の仲間に意見してもらうということです。一人の意見では分析もかなり偏ってしまいますし、あらも見えにくい。ここでこそみんなで討論しあいながら、自分の見解を他の人の意見に耐えうるだけのものに鍛え上げていくように心がけましょう。
十分に練って自分の分析が確立すれば、次にベストなフローを作る(スピーチの型について:その3参照)。前述の通り、このアウトラインを「典型」とすれば、自分なりのベストな流れを型に囚われず作ってみましょう。ここでもその流れでいいか(混乱をきたしていないか、スムーズか、分かりやすいかなど)、みんなの意見を聞きましょう。
そこまでくれば後は原稿を書き上げます。この際、言いたいこと「A」があったとすれば、スピーチの場合それを「どう」いうのがもっとも「分かりやすい」か、「美しい」か、「相手を揺さぶることができる」か、最終的にはそこまで考える必要があります。これは一気にできるものではないでしょうし、何回も原稿を書きなおす中で、ベストといえる表現にまで高めましょう。
また、英語に間違いがあったり、妙な表現が混じってしまうと、聴衆は興ざめしてしまいます。特にネイティブのジャッジはそうです。必ずネイティブ・チェックを受けましょう。日ごろは英語支配についての問題を授業で語っている僕がいうのも変な話ですが。
●スピーチ発表の準備
何回もの推敲を経て、ようやく原稿が出来上がります。次にはプレゼンテーションの練習が待っています。正直いっっっっっっくらいいスピーチを書いても、プレゼンテーションが悪ければ、スピーチでは相手を動かすことはできません。そう、スピーチは聴衆の心を言葉でもって揺さぶらなければならないのです。それはパワフルな論理(ロゴスlogos)でも可能ですが、そこにやはり哀愁的・情緒的要素(パソスpathos)がなければ伝わらないのが現実です。皮肉なことであり現実にあることですが、あまりいい内容でないのに、「バリバリの英語」で情緒豊かにまくし立てられ、それが入賞するなんてこともあるのです。好ましいこととは思いませんが、デリバリーの力とはそれだけ大きいということは十分に認識しておきましょう。殿、甘く見てはなりませぬ。
デリバリーの仕方は後述するので、それ以外の発表準備に焦点を当てましょう。
では発表するにあたりまず何をするか。もちろんメモライゼーションです。ここが一番大変なところかもしれません。僕も苦手です。練習中は覚えていても、緊張するとうまく出てくるか、カメラで撮られる瞬間頭の中から文章が抜けていかないか(経験あり…)、いろんな不安要素がつきまといます。もうこれは時間をかけてがんばるしかありません。暗記は大会によってというか、ジャッジによってどれだけ重視するかが変わってきます。原稿を結構見る慎重な方もいれば、僕のようにある程度先に読んでおいて当日はあんまり原稿を目で追わないとか。僕みたいな寛大な方ばかりなら、書いたとおりでなくても問題ないんですけどね。
一つだけコツらしきものを挙げるとすれば、自分で自分の書いたことをきちんと理解しておくことでしょう。ここに到るまでにきちんとリサーチし、推敲に推敲を重ねてアウトラインを考え、よく間挙げてフローをつくっておけば、ある程度自分の中に展開はあるはず。もし忘れてもその流れが頭の中にあれば、多少飛ばしてもつながりますからね。
さて、プレゼンテーションとは「見せ方」の問題です。ということは、自分がどのように見えるかを把握しておかねばなりません。そのためには二つ方法があるでしょう。一つは自分で自分を見ること、二つ目は他人に自分を見てもらうこと、です。
(1)まず、自分の姿を自分で見るのに手っ取り早い方法は、「鏡」です。自分の服装チェックをするときのように、まずは鏡の前に立ってみる。服装はそれでいいか。背筋は伸びているか。リラックスしているか。そこに答えが映っています。次に実際に話してみましょう。口は大きく開いているか、目は配っているか(eye contact)、動きやジェスチャーはあるか、またはオーバーになっていないか、自分でチェックしてみましょう。もう一つが(2)他の人にプレゼンを見てもらうことです。本番形式のようにして多少緊張感を持たせることがいいかもしれません。鏡に映す自分を判断するのは自分ですので、自分が見れることしか見ることができません。しかし、他人に見てもらうことで、自分では見えなかったものが見えてくるようになります。この場合複数の人に見てもらうといいかもしれません。終わったらダメダシをしてもらって、どこがおかしいのか、いいのかを確認しておきましょう。
●発音について
どのくらいネイティブに近い発音をするのか、これは僕のように国際英語や英語支配について考えている者にしてみれば、答えのない永遠の課題のようなものです。しかし、ここではプラクティカルに行きましょう。コンテストではもちろんネイティブモデルの英語に近い方が高得点がもらえるのは間違いない。だから、/l/と/r/は区別できた方が好ましいし、/th/や/f/がきれいに発音できているほうが好感度が上がるでしょう。
しかし、それはそうある「べきだ」というものではありません。余りにもそれらしくしゃべろうと思ってしまうがために「不自然」な音になることもありますし、人によっては「その不自然さ」=「アメリカ・イギリス人の真似しい」に映る場合もあり、逆に点数を落としうるでしょう。反対に、内容がよく、プレゼンの仕方も問題なければ、発音がある程度でも気になりませんし、かえってそれが自然さや素朴さと捉えられて、好感度UPにつながることも考えられます。
よって、コンテストという文脈に限っていえることは、あまりにもわざとらしいぐらいには真似せず、気を付けながらある程度の自然さを持って話す方が無難でしょう、ということですね。
●デリバリの仕方について
上ではどのような仕方で自分を「見せる」のかという観点で説明しました。今度は、どのような仕方でスピーチを「聞かせるのか」、つまりデリバリの仕方について見ていきたいと思います。ここでポイントとなるのは、声の制御、ボイス・コントロールでしょう。歌を歌うときも、ただ闇雲に歌えばよいというものではありません。やはり、プロの歌い手は自分の歌を自分の色に染めるのです。色づけするのです。スピーチも同じです。どのように声をコントロールして、自分の味を出すのかが大切です。
今「自分の味」と言いました。100人いれば100人分の「おふくろの味」があるように、100人いれば100通りのスピーチが出来あがるものです。ということは、自分がスピーチをする前に「自分なりの解釈」が存在していなければなりません。全てを同じように読んでいてはつまらない。自分はこのスピーチのどこをもっとも言いたいのか、この部分は怒っているのか、この部分はうれしいのか、この部分は悲しいのか、どこにどのような気持ちを自分が抱いているのか、始める前に解釈する時間を取りましょう。そして、その解釈にあうように、自分自身の声を使い分ければいいのです。その際、実際に読みながら「ああでもない、こうでもない」と模索していく方が頭で考えるよりもいいですね。
では、実際に声をコントロールする際の指針となるようなものを紹介しておきましょう。 まずは、@強い―弱い、A早い―遅い、B高い―低い。@〜Bに関して説明は要らないでしょう。声の強弱、スピード、声の高さをうまくコントロールすることですね。それぞれがどのような効果・印象を生み出すかは自分で考えてみてください。Cでこぼこ―スムーズは多少説明を要するでしょうね。これは「イントネーションの滑らかさ」のようなものです。声の高さを「高さ1」と「高さ2」の二つのレベルを想定しましょう。例えば、” I have never thought about it.”という文をこれらの間を直線でつないだように読むと、
I have never thought about it.
\___/ \__/ \_______________ (←でこぼこしてるでしょう?)
のように、「高い(1)」―「引い(0)」のデジタル的イントネーションとなり、「滑らかさ」はそこにはありません。しかしアクセントを置いて滑らかにイントネーションをつけるためには、単純に「1」−「0」と分けるのではだめ。その中間を大事にして、上のようにガクンガクン(\/\)と読むのではなく、曲線(〜)になるように滑らかにあげ、滑らかに下げ、滑らかに強め、滑らかに弱める、という気配りが必要です。ステレオの音量調節で手で回すやつがありますよね。それってアナログ的でしょ。あれで強弱つけるように「滑らか」に上げていく、下げていく、といった感覚のことです。これが「でこぼこ―スムーズ」で言いたかったこと。でこぼこのイントネーションもありえますが、スムーズさの方が英語には大事なことが多いかもしれません。
ちなみに、以上の側面は語レベル、文レベル、段落レベル、全体レベルで考えなければならない側面とも言えます。例えば、一つの単語(例えばimportant)のアクセントがある箇所(-port-)をどのくらい「強く」読むのか、一文(例えば、I did not realize that he was having difficulty.)をどのくらいの「早さ」で読むか、段落内でどの文をどう読むか、全体の中でどの段落をもっとも訴えるか。これら全ての側面を考慮にいれ、うまく使い分ける必要があるでしょう。
Dポーズのこともいっておきましょう。ポーズとは例えば文と文の間の空白です。たかが空白、されど空白。空白がもたらす意味を軽視してはいけません。例えば、「…しかし、彼は亡くなってしまいました。問題は…」というのと、「しかし、彼は亡くなってしまいました。(ポーーーズ)問題は…」というのでは、単に空白の時間が長かったという物理的事実では片付けられないような、心理的圧迫感、余韻といったものがそこから生まれてきます。この数秒の間に「(どうしてそんな悲しいことが…。そんな中僕はこんなにもぬくぬくと暮らしている…。ひょっとして僕は何か重要な問題を見逃しているのではないか!)」といった思いが心の中を駆け巡りうる。これが大切なんです。Aの早い―遅いにも関わってきますが、怒涛のように話されても聞いている方としては困る。少なくともその方が流れる情報量は多いかもしれないが、あまりにも聞き手の聞きたいと思う意思や思いを無視してしまっている。どこを早くいって、どこをゆっくり丁寧に語ってやるか、どこにポーズを入れて考えさせるか。こういった工夫はスピーチに幅を持たせてくれますので、是非いろいろ試してください。
あとは声の幅の。普段の生活でもそうなんですが、舞台に立ったり、人前で話すときって、声の幅(高い声と低い声の間)が極端に狭まってしまう傾向があるようです。そしてその狭まり方ですが、どちらかといえば声が高い方向へ、つまり上ずってしまう傾向を感じます。図示すれば大まかに以下のようになるでしょう。
実際の声域 日常生活での声域 緊張状態の声域
―――――――――――――― ―――――――――――――― ――――――――――――――
(↑自分が出せる最も高い声)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -| ↑ ↑
| |(普段の生活ではこの | 極端に狭まる
| | くらいの声域ですむ: ↓
| | カラオケ以外) - - - - - - - - - - - - - -
| ↓ ↑ 声があがる傾向
|
- - - - - - - - - - - - - - |(↓自分が出せる最も低い声) |
―――――――――――――― ―――――――――――――― ――――――――――――――
よって、練習するときから自分の声域を十分に利用できるようにしておくことが大切です。練習中にやっておけば、それが「体得」され、本番でも出てくるはず。
●スピーチと身体
僕は高校のとき演劇部に入っていました。演劇部って文科系と思いがちですが、どちらかといえば体育系と文科系の中間ぐらいに位置します。練習はまず柔軟運動から始まります。それから腕立て、腹筋、背筋、スクワット(2種類)を何回かセットでやります。その後は発声練習(お腹から声を出す練習なんですが、体育館の幕の裏でわけのわからない「あぁぁぁ」とか「あ、え、い、う、え、お、あ、お、か、け、き、く…」、または早口言葉などが聞こえてくるわけですから、練習していたバレー部やバスケット部の方々は妙な気分だったでしょう)。それらを1時間近くやってから、ようやく演技の方へ入っていくんですね。
なぜこういうことから話したのかというと、スピーチも結局は「頭」だけでやるのではなく「体」が重要な要素となる、ということです。先述のとおり、どのように「声」を出すかというのはまさに身体の運動です。緊張していれば声域に影響が出てきました。姿勢、声の震え、目の動き、ジェスチャーの仕方などに事細かに現われてきます。スピーチには頭を働かせつつ、指使い、声使い、目使い(?)など、自分の身体の動きへの配慮が必要不可欠なんですよ。
自然な「立ち回り」をすること、発表の真髄はここにあるのかもしれない。ということは、やはり私たちはスピーチをする際、「立ち回り」をするための「体」を作り上げておかなければならない、ということですね。別にスピーチのために腕立てしろとはいいませんが、練習のときから自分の解釈の表現を十分に「身体化」させること、そして本番に体が硬くなって自然に身体化されたものが出てこないということがないように、十分にリラックスするように努める。アスリートではありませんが、本番前(いすに座ってたらもうできませんが)、ジャンプしたり、屈伸したり、体を回したり、肩をほぐしたり、口や目を大きく開け閉めして顔をぐにょぐにょさせてみたり(←いらぬ心配ですが、誰にも見られないように気をつけよう…)、発声練習してみたり(←さすがに一人ではしにくいので、本番前に他の人と大きな声で話したり)、とにかく、ウォーミングアップを心がけましょう。リラックスの部分は難しいところもありますが、知っていて損にはならない話です。
●
おわりに
スピーチの説明のためのハンドアウトを作るつもりが、こんなに長くなってしまいました。一種の書き下ろしマニュアルですね。再度確認しておきますが、これらは僕の経験にもとづいて書き下ろされたマニュアルであり、理論的な背景は重点が置かれていませんし、実証研究に基づくものでもありません。
僕が「あぁ、スピーチってこうやって書けばいいんだぁ」となんとなく実感し始めたのは3年前期の活動が終わったときでした。後期から留学したので、ちょうど僕のESS現役人生にピリオドが打たれた時期です。よって個人的にはあまり輝かしい成績というものは残せませんでしたが、僕にとってはその迂回が無駄にはならなかったと思います。この回り道のおかげで僕なりのスピーチに関する考えが生まれてきたわけですし、このマニュアルの誕生ともつながっていきました。みなさんもここから自分なりのスピーチ観や書き方、練習方法などをそれぞれが模索していって欲しいと思います。
最後に一言。スピーチとは社会に対して自分が駆使する「力」です。民主主義を支える源です。考える技術を高め、自分に幅と深みをだし、英語力を向上させると同時に、社会のため、そして世界のために「物申し」てみませんか。
福岡教育大学ESS顧問 吉武正樹
2005年3月7日初版
2005年10月27日一部変更
2004年度ESS春合宿スピーチ・セクション活動のために書き下ろし
(仮)スピーチのトピック選択に思う―「いいスピーチ」って何だ?
昨日8ページぐらいの論文の締切があったことをすっかり忘れていた。1月ぐらいだったかなぁなんて調べてみたら昨日だって。えええええ!!!9月締切のやつもまだ書いてないのに!!!とにかく今日から急いで書きます。関係者の皆様すみません!!!
締切のことを思い出した数分後、5大学のESSのスピーチセクションが集まって企画された福スピと言われる英語スピーチ大会にジャッジとして参加。会場は我が大学。皆様山のふもとの冷蔵庫の中へようこそ。とてもいい時間でした。
今日のジャッジのコメントで述べた4点についてここに記しておきましょう。
(1)タイトルについて
タイトルって短くって、最後にさくさくってつけることが多いかもしれませんが、これ案外重要ですし難しいんです。正直今回の7名のスピーチのタイトルは記憶に残りませんでした。したがってジャッジング・カンファレンスのとき、誰がどのスピーチをしたことは覚えているのに、原稿を探そうとしてタイトル見ても全然内容と一致せず、すぐに探せないのです。日本語の場合だとわりとぼんやりつけることが多いのですが、英語スピーチの場合は重要なメッセージをドカンと入れることが重要です。歯切れよくストレートにつけることもありますし、少しひねりを入れることもあります。また、あんまりみなさん考えないかもしれませんが、音のリズムは大切ですよ。読んでいて「キマった。。。」と思えるような心地よく、心に刺さるようなタイトルをひねりだしましょう。
(2)自問自答多すぎ
7名中5名はスピーチをQuestionではじめていました。また本文でも結構Questionをレトリカル・ディバイスとして入れている人が多かった(全員?)と思います。確かに、イントロは質問の投げかけからはじめるなど工夫をしましょうとならったかもしれませんし、質問は効果的だと教えられたかもしれません。それは正しい。しかし、本当に効果があるところに使わないとあまりにもわざとらしいです。分かりきったことを聞く方、一般的な質問から初めて強引に自分の答えに持っていく方、色々いらっしゃいますが、それを問いにする意味はあるのか、あるならどれほど効果的か、など自問してみましょう。人によって好みがあるかもしれませんが、僕の場合は一つのスピーチにここだというところに一箇所あるぐらいで十分です。
(3)英語スピーチの構成の基本を
今回、まだまだ段落の書き方や全体の構成の仕方があまかったです。どうも日本語のロジックがそのまま英語に移った感じがしました。もちろん、英語スピーチといってもオーディエンスは日本人ですので、日本語ロジックの英語スピーチでも心に響くかもしれません。しかし、あえて英語でやるということは、それなりに日本語モードでなく英語モードを自分になじませるための訓練をしているのではないかと僕は思うのです。ならば、ちゃんと英語スピーチの一般的なモデル、つまり:イントロでは聴衆をひきつけ、thesis statementで今日のスピーチの内容を明らかにする;ボディは複数の段落からなりますが、一段落には一つの考えを書き、それはtopic sentenceとして直接文頭に書き、サポートをしっかりと入れて主張を正当化し、コンクルでは論点をまとめ、印象を残して終える、そんなやり方を踏襲する必要があると思います。その上で型を自分なりのやり方でアレンジし、崩してみることは価値ある冒険であり、むしろそれくらいしないとみんなが型にはまりすぎて面白くありません。ただ、そういった基本なしに日本語モードをそのまま炸裂した英語スピーチはどうかと思います。それを気に留めもさせないぐらいのインパクトあるスピーチなら別ですが。
(4)スペシャリストになりなさい
今回一番の課題は、みなさん分析があますぎるということです。これは日本人に典型的に見られる欠点です。それはやはり日本では弁論というものが互いに価値観を共有していることから出発し、相手がうなずいてくれるだろうという安全圏で行われるからです。一方英語の場合、聴衆は必ずしも同じ価値観を抱いているというところから出発してはなりません。むしろ、自分の主張はその正当化なしには価値がないに等しいくらいに、きちんとした裏づけが必要です。今回のみなさんのスピーチは、取り上げた問題はいいのですが、それについてのリサーチ、現状分析、提案理由、解決過程の説明などがどれも不十分でした。
現在は情報を得ようと思ったら、ネットなど使って誰でも気軽に検索できます。だからこそ、人前でスピーチをしようと思ったら、その会場の中であなた自身がそのトピックのエキスパートになり、どんな質問にも耐えられるだけの十分な理解をし、自分のアイデアを持っている、という自信が必要です。そのためには、かなりのリサーチが必要になります。ちゃちゃちゃっと調べ、あまり時間をかけずに論だけ流し、書いたスピーチは、現状がどんなもんか全然具体的に分からないし、原因の分析もなければ、いきなり解決法が提示され、美談で終わってしまう。
別に今日のスピーチの主張が間違っているとは思いません。むしろ正しいことを言っています。しかし、問題は正論すぎることです。「○○が足りない」→「○○を増やしましょう」、「○○が苦しんでいる」→「○○を助けましょう」といいうロジックは正しいのですが、多くの場合、みんな「問題」と思っている点には少なからず気づいているのです。難しいのは、気づいているけどできていない!ということなんです。「わかっちゃいるけどやめられな〜い」というのは世の常です。だからこそ、分析が必要であり、そこを解決するようなものでこそ、真摯に取り組んだスピーチと言えるでしょう。
(吉武正樹の「主体への語りかけ」2008年12月6日に手を加えました)
(仮)スピーチのトピック選択に思う―「いいスピーチ」って何だ?
今日(日付は変わってしまったが)はまとめてスピーチの原稿審査をやってしまった。全部で19人分。MDやテープを聞きながらの審査なんだけど、疲れる。。。ただ5人分の音声がなかったので、後日後5人分やらねければ。今日やった分を忘れそう。。。
うーむ、いろいろとコメントすべきことはあるなぁ。。。 思いつくまま言っておくと、まず、トピックや内容が幼稚なものが多い。英語で書いているから気付かないけど、日本語に直したら中学生でもやれるスピーチだったりするんだよね。例えば、「Aは問題だ。だからBをすべきだ。」という単純なロジックが見られました。Aに「寝坊」を入れ、Bに「早起き」を入れてみれば、そのロジックの穴が見えるでしょう。もっともなことを言ってるんだけど、問題の核心を捉え損ねているんですね、このロジックは。つまり、We all know that we should get up early, but our challenge is to think about why we cannot get up early even though we know we should. ♪わかっちゃ〜いるけどやめられない〜ってわけですよ。この場合、「なぜ(=原因)」を徹底的に追及することが重要です。そしてそれを解決すべく徹底的に練られた解決法ですね。これをしっかりやるだけでも全然ちがいますよ。
次に、トリビア的スピーチの浅さが目立ちます。確かにスピーチには驚きや最新の知識が必要です。しかし、スピーチの大前提として、そこに自分の「思考」が入っていなければならないのですよ。「みんなこれしってる?俺知ってる。ね、ね、びっくりしたでしょ。これやってみてね。」っていうロジックには正直思考は必要ありません。これは情報の横流しであって、自分はただのパッサーであり、それなら誰でもいいんですよね、あなたでなくても。スピーチの醍醐味は思考を聴衆にぶつけてみて、そこの反応や変化を楽しむことです。知ったかぶりだけではだめ。
ほかには、重要なトピックを取り上げているんだけど、解決になるといきなりトーンダウンしてしまうものがありましたね。たとえば、社会的大問題を取り扱っているのに、解決法が一人一人の地道な努力に訴えかけて終わっているもの。まぁ、ちりも積もれば山となるわけですが、7分程度のその一回のスピーチで世界を変えれるなんておごってなんかいちゃぁいけやぁせんよ、あんたぁ。「ゴミの不法投棄が問題になっています(社会レベルの問題)。だから、みんな一日一つずつゴミを拾いましょう(個人レベルの問題)。1億人の人が一日に1個ゴミを拾えば、一年間に365億個のゴミがなくなります(個人レベルの持続による社会レベルの問題の解決への期待)。」ていうのは正論ですが、まず無理です。
この個人レベルと社会レベルの解決はいい「あんばい」が重要です。以上のように社会問題を個人の問題だけに還元してしまっては解決は難しい。そこに足りないのは社会レベルでの解決、つまり、社会として、または集団として何をどうやって解決できるのかというようにマスレベルでの解決を提示することが必要です。ただ、重要なのは、マスレベル解決だけでは抽象的すぎるので、そのマスレベルの解決法に個人がどうかかわれるかという視点から考えてみることは意味があります。ですので、あり体に聞こえますが、一方だけではだめ、社会レベルの解決を綿密に提示しながら、そこでの個人のアクションにまで降りてくること、これがひとつの典型的なやり方ですね。みんなこれでは面白くないので、そのあたりは個性を出してもいいとは思います。
もう一つ書いておくと、英語を話すときの「力み」具合に気をつけよう。英語スピーチの大会に出ると分かりますが、なぜか日本人が英語のスピーチをしようとすると、妙に「キモくなる」ことがあるんです。妙に英語っぽく言おうとしている「痛さ」とその割には全然「いけてない」という感じなんですよ。そういうステージはありますが、そういう方は良質のインプットが不足しています。そしてそれを真似てみようとする努力が足りません。日本語と英語の発音の仕方はモードがまったく違います。だから、英語をうまく話すときの身体性は日本語の時に必要とされるそれを違うモードを採用して話す必要があります。英語を話すぞ!と意気込んでいるんだけど、身体の動きがぎこちないんですよね。また、流暢にしゃべろうと思ってすらすら言ってるんだけど、一つ一つの音があいまいになってしまい、やっぱり「キモ」くなったり、まったく聞き取れない「流暢な英語」になってしまうんです。この場合は、ちゃんと英語の一つ一つの音が身体にしみついていないのに、先に進みすぎて、すらすら読もうとして原型をとどめきれないんですね。ナウシカでいると、まだ体が固まっていない巨神兵が動こうともがくが、体はどろどろと溶けている、あんなイメージですね。基礎が固まってないまま「流暢」にやろうとすると、形ができていない発音がどろどろと「型崩れ」を起こしてしまうんです。
いつもジャッジしてて思いますが、スピーチがしっかり書けてると発音やリズムがダメ、発音やリズムはうまいが内容が全然幼稚、そんなパターンが多いですね。みなさん、日本語に慣れ親しんだ大学生がスピーチをするんです。しっかりと英語を勉強し、かつ大学生らしい内容のものを書き、それなりに英語的な構成の仕方や思考パターンを使ってみる、すべてを徹底させる努力してみてください。すると1位なんて簡単ですよ、たぶん。
ちなみに、こんな風に書くと、英語支配を口にする僕は矛盾してるとお思いかもしれません。それは違いますよ。英語で立派なスピーチを書き、英語らしく、そして立派にプレゼンできることは、英語を称賛することではありません。新しい思考モードと身体モードの両方を自分の幅や視野を広げるために身につけることなんです、それは。野球出来る人がテニスもできるようになるという感じです。それは野球を忘れることではないんです。難しいのは、英語モードの思考やプレゼンモードは、割と近代的な世界で求められるコミュニケーションでもあるんですよ。以心伝心やパソスに訴える(感情や情緒に訴える)コミュのいいところもありますが、それは割と共同体ベースのコミュスタイルであり、他者性がそこに意識される場合にはどうしても説得的なそれになってしまいます。いってしまえば、みなさんは共同体ベースのコミュもでき、近代的なコミュもできる、そんな訓練をしているということなんですよ。田舎人でありながら、都会人でも入れる感覚です。時代は前者から後者に移っていますが、その中で両方に精通し、できるということ、それが最終的なスピーチのお勉強・訓練の目的です。
(吉武正樹の英語コミュニケーション研究室(2009年5月6日)
に手を加えました)Copyright© 2009 Masaki Yoshitake
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