誕生

事の起こりは、1976 年 11 月、NFRA (Netherlands Foundation for Radio Astronomy) の R. Harten と KPNO (Kitt Peak National Observatory) の D. Wells によるデータ交換システムの開発への着手であった。 翌年の春には、各々が作成したプロトタイプデータ交換ソフトウェアのテスト・ランが試みられた。 1977 年から 1978 年にかけて J. Dickel (Univ. Illinois) は Westerbork と Kitt Peak の間で、光・電波イメージのエンコードと交換を実行した。

1979 年 1 月、KPNO で開かれた NSF (National Science Foundation) の会合でデータ交換用フォーマットについて議論され、議長の P. Boyce (NSF) が NOAO と NRAO へ開発作業の着手を要請し、R. Burns (NRAO), E. Groth (Princeton), Wells にタスクフォースを結成させ、Burns は VLA で他のプログラマと共に会合を持った。 1979 年 3 月 27/28 日、Harten と Wells の経験を元に、36 時間にわたる議論を経て、E. Greisen (NRAO) と Wells が、Basic FITS Agreement を完成させた。 ここでキーになったのは、論理レコードのサイズをどうするかで、当時のすべてのマシンのワードサイズを考慮し、CDC-6000/7000 のテープの物理ブロックサイズ (30240-bits) に近いことから、 23040-bits という値が採用された。 データ構造としては 符号なし 8-bit、符号付き 16-bit、符号付き 32-bit 整数の 0-999 までの配列がサポートされたが、将来のことを考えデータ配列にさらにレコードを付加することも許された。

1979 年 5 月、NOAO と NRAO の間で FITS によるデータ交換が試みられ、その実用性が確認された。 最初のデータ交換の試みは、OS/MVT の元の IBM-360 (2 の補数 32 ビット、EBCDIC) において PL/I ソフトウェアによりテープ上に書かれたデータを SCOPE を OS として使用する CDC-6400 (1 の補数 60 ビット、Display Code) 上の FORTRAN ソフトウェアで読むという形で行われた。 この二つの計算機システムの組み合わせは、データ交換のためにはおよそ考えられる最悪のものだった。 これは、提案された FITS 構造が是認される前に実用的なデータ交換のデモが要求される、という先例となった。

1979 年 6 月、Basic FITS がイタリアのトリエステにおける International Image Processing Workshop で Wells と Greisen により提案された。 Harten がこれを是認した。FITS は即座に受け入れられ、1 年を待たずに天文コミュニティにおける国際標準フォーマットの地位を確立した。

これは現在では以下の論文として参照可能である (以下 FITS Paper I とする(第II部 参考文献[1]))。




Osamu Kanamitsu
2019-02-15