植物にとって長距離移動の機会は花粉と種子のときだ。種子が母株から離れて移動することを種子散布[seed dispersal]という。花粉の移動=送粉がゲノム一組の移動であるのに対し種子散布はゲノム二組の移動なので、遺伝的な基準で見ると種子散布は送粉の2倍の効果がある。また、花粉は同種の別個体がないところへは移動できない(しても無駄になる)のに対し、種子散布にはそのような制限がなく、他の個体がないところへ移動して新しいすみかとする=分布を拡大することができる。
花のかたちの多様性が、何を使って花粉を運ぶか、そのために花のどの器官をどのように使うか、を反映していた。同じように、果実の多様性も、次の2つを反映している。
母親個体から離れ移動する単位=散布体は、植物種によってさまざまだ。
熟すると裂け目ができて種子が露出する果実を総称して裂開果[dehiscent fruit]という。裂け目の位置・数は多様で、果実全体が文字通り「裂けて開く」ものもあれば、果実の形はそのままで裂け目が種子の出口となるものもある。裂開果は、さらにさまざまなタイプに分けられ、一部は袋果・蓋果などの名称がついている。また、マメ科の果実や類似の果実(豆果)やアブラナ科の果実や類似の果実(角果)は、裂開する/しないに関わらない名称をもつ。これらに当てはまらない裂開果は蒴果[capsule]と呼ぶ。裂開果では、種子=散布体がふつうだ。
クリスマスローズ(キンポウゲ科)の果実。花は数個の離生心皮をもち、各心皮が果実に成長し、裂けて種子を出す。このように離生心皮で各心皮の縫合線で裂開する果実は袋果[follicle]と呼ばれる。 |
ゴキヅル(ウリ科―上)・オオバコ(オオバコ科―左)の果実では、中央を横に一周する裂け目ができ、上半分が帽子を脱ぐように取れる。このような裂開果を蓋果[pyxidium 複 pyxidia]という。 |
裂開果に対して、裂け目・種子の露出がない果実を非裂開果[indehiscent fruit]という。種子が果実に入ったまま散布される点は共通だが、散布体はさまざまで、果実=散布体の場合が多いものの、複数の果実がまとめて散布されるものや、果実が分割して散布されるものもふつうにある。
多花果は、複数の果実がひとかたまりになって散布される。多花果でなくても、ケヤキのように果序(複数の果実がついた枝)ごと散布される場合がある。
ケヤキ(ニレ科)は果実がついた小枝がつけねから取れて散布体となる。果実が複数の部分に分離して散布される場合、分かれたそれぞれの部分を分果と呼び、中には種子が1個ずつ入っている。こういうタイプの果実は、分割のしかたによって分離果[schizocarp](セリ科・カエデ科など)、節果[loment](ヌスビトハギなど)に分類される。
ヒルギ類では、枝についたまま果実の中で種子が発芽し、胚軸が果皮を突き破って伸び出す。伸びだした実生(芽生え)が落下し、散布される。
左: オヒルギ(ヒルギ科)の花送粉のときと同じように、植物自身の動き・風・水・動物の4つが原動力となる。送粉と散布では原動力の顔ぶれは同じでも比率は大きく違う。
これらのことは、花粉に比べて果実・種子がずっと大きく重いことで説明できる。
原動力には、散布体を運ぶ「運搬力」と散布体を植物から弾き出す「射出力」の2つのタイプがあって、動物と水は運搬力、植物自身の動きは射出力、風は運搬力と射出力の両方になる。また、特に原動力を持たない場合を「重力散布」と呼ぶことがある。その結果、主立った散布様式は以下の6つに分けられる。
散布様式 | 射出力 | 運搬力 | 散布距離 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 重力散布 | 特定の散布動力なし | 短 | |||||
2 | 自動散布 (自力射出散布) | 植物自身 の瞬発的 な動き | 乾湿運動 | |||||
細胞伸長 ・膨圧に よる運動 | ||||||||
3 | 風靡散布 (風力射出散布) | 風による茎の「靡き」 | 風 | |||||
4 | 風散布 | 短~長 指向性 なし | ||||||
5 | 水散布 | 雨滴散布 | 水流 | 地表を流れる雨水 | 短 | |||
海流/河川流散布 | 海流・河川流 | 長 指向性 あり | ||||||
6 | 動物散布 | 付着型 | 主に 哺乳類 ・鳥 | 体表に付着して運搬 | ||||
被食型 | 糞散布 (周食散布) | 消化管内で運ばれ 糞として排泄 | ||||||
貯食散布 | 収集されて埋蔵 | 短 | ||||||
アリ散布 | アリ |
射出力と運搬力の併用や2種類の運搬力の併用をする植物もけっこう多く、そのような植物は複数の散布方法を持つことになる。例えば、ムラサキケマン(ケシ科)は自動散布とアリ散布、ユリ属やウバユリ(ユリ科)は風靡散布と風散布を併用する。上の分類に当てはまらない種類も多く、まだどのようにして散布されるか調査されていないものもある。
散布された種子が移動先で発芽・成長することを定着[seedling establishment]という。より多くの種子が定着したとき、散布は成功したことになる。定着率や定着する種子数は、次のようなときに高まる。
散布様式によって散布距離(正確に言えば、散布距離の分布)は違う。重力散布・自動散布・風靡散布・雨滴散布・貯食散布・アリ散布は、平均散布距離が短い傾向がある(短距離散布[short distance dispersal])。一方、海流/河川流散布・動物付着散布・糞散布は、他と比べると長い時間を掛けて遠くへと散布する傾向がある(長距離散布[long distance dispersal; LDD])。風散布は植物体の高さや散布体のサイズ・形状などで左右される余地が大きい。
散布元の近くに散布された種子は、次のようなリスクがあって定着を妨げる。
これらのリスクは、散布距離が長いほど回避できる確率が高い。
一方、植物には種類によって発芽・成長に適した条件(寒暖・日照・土壌・植生など)があるので、種類に応じた定着適地(セーフ・サイト[safe site])に散布される方が定着に有利だ。短距離散布では、成り行きとして散布元と条件が似た生育地へと散布されることが多く、定着適地である可能性が高い。対照的に、長距離散布では、散布先の条件が散布元と違う確率が高まる。このように、散布の成功度を高める「より遠くへ」「定着適地へ」の2つの間には、相反関係(トレード・オフ)がある。
相反関係をゆるめる特徴として、種子散布に散布元と似た生育地を標的として移動する特性(指向性)が見られる場合がある。
海流/河川流で散布される植物は、水中や湿地・水辺に生えているものに多く、散布先も同様の場所になる
動物付着型の果実をつけるヒカゲイノコヅチ(ヒユ科)は、しばしば林縁や林道脇で群生する動物は摂食や営巣の適地間を移動するため、さまざまな動物散布は多少とも指向性を示す。
散布体の数は、単純に多ければ多いほど有利だ。散布はさまざまな偶然に強く左右される過程なので、おびただしい数が散布されれば、散布距離や定着適地到達の期待値が変わらなくても、たまたま長距離散布される散布体・たまたま定着適地に達する散布体の頻度が高まる。ただし、植物個体が1回の繁殖に割くことができる資源量には限りがあるので、散布体の数とサイズとの間には相反関係(トレード・オフ)がある。
散布体のサイズは「大きければ大きいほど有利」とは言えない。大きい散布体は芽生えも大形で初期成長が速く、定着には有利だ。一方、多くの散布様式において、小さく軽い散布体の方が散布距離を稼げる。とりわけ風散布では、風で舞い上がるような微小な種子やコケ・シダの胞子はきわめて遠距離に散布するケースがあると推定されている。
このように、散布の成功度は多数の要因に影響され、要因どうしの間にも複雑な関係がある。