「論理的」といってもいろいろな意味がありますが、私が重視する点についてだけ述べます。
どんなに立派な意見、どんなに正しそうな仮説、どんなにもっともらしい事実であっても、根拠が示されていなければ、レポート・論文ではあまり意味がありません。
根拠が示されていれば、それを検討することを通じて意見や仮説の検証をすることができます。日常会話で言うことに逐一根拠を示したら嫌われそうですが、レポート・論文では、逆です。
レポートの中に上のような考察を示すとしたら、市民の間での関心の低さや知識の乏しさ、また、それらが教育での軽視とつながりがあることを(部分的にでも)支持する根拠が、前の方で示されていることが必要です。
根拠となるのは、自らが実験や調査を通じて得たデータ、あるいは他者が得たデータを含む文献の記述などです。
根拠は、3つのグループに分けられます
代表例 | 根拠や出典(ソース) | |
---|---|---|
自前のもの | 自分が実験・観察・調査から得たデータ 自分が目撃した/体験した事実 |
実験・観察・調査の方法 目撃・体験の状況 |
引用・参照によるもの | 文献から得たデータ・事実 伝聞によって知った事実 |
文献の書誌情報など 伝聞の状況 |
自明なもの | 根拠や出典(ソース)を示す必要がないくらい明らかな事実。レポートの場合は、高校までの教科書に載っている位を基準とすればよいでしょう。 | (なし) |
根拠には、ランクがあります。
一般的には、データを出した本人が実験・調査方法を含めて詳細に報告したものが最も重視されます。多くの場合は「学術論文」の形で発表されます。一般的なルールに則って書かれた論文は、同じ実験・調査方法を取ることで同じ結果が得られる(再現性)かどうかを調べること(これを「追試」といいます)で、検証することが可能です。
対照的に、匿名の人物によるウェブサイトで出典のない記述は、検証できる可能性が非常に低いということになります。
このような両極端の中間に、新聞・雑誌記事など、さまざまなものが分布しています。
学術論文の場合、
最後の伝達が途切れているものは論外ですが、伝達を重ねるたびに根拠としてのランクはどんどん下がっていきます。理由は次の2つです。