レポートの書き方: だめなレポートの例
「正しい」「正確な」だけではダメ

学生が出すレポートの中には、「正しいだけ」で高い評価を与えられないレポートがよく見られます。例えば、次のようなものです。

もちろん、正しくないよりは正しい方が良い。しかし、レポートでは、そもそも単一の正解など存在しない場合の方が多数です(そうでなければ、レポートではなく試験にするでしょう)。だから、「正しい」かどうかにそれほど大きな意味はありません。

表現したい内容も、その表現の方法も(一定のルールの下で)自分で設定できるという点では、レポートは、スポーツで言えば体操やフィギュアスケートに似ています。正しいだけのレポートは、難度の低い技しかせずに「転ばなかった」「落ちなかった」演技に当たります。どうして高い評価を得られるでしょうか?

参考文献からの引用が大半を占める

ダメな理由

  1. 危険を冒していない
  2. 自分自身がない

例えば、次の2つを比較して下さい。

  1. 参考になるネット上のページから数百字にわたって文章を転写した
  2. 上と同じ内容を数十字で表現した

1は当然ながら内容を正しく紹介しているでしょう。しかし、それは、「間違うはずのない条件で間違わなかった」というだけのことです。評価はほとんどゼロです。

長い文章を的確に要約するのは簡単ではありません。元の文章の意味するところを(ある程度まで)十分に理解し、レポート全体の主題と照らし合わせて必要な部分を抽出することが求められます。これは、誰にとっても難しい作業ですが、特に学部学生のレベルでは完璧に2をこなすことは不可能と思います。ですから、重要な点を落としたり、論旨を読み間違う可能性が高いと思います。2は、間違う危険を冒しているという点で、1よりは高い評価を与えられます。

また、「丸写し」は誰がやっても同じ結果にしかなりませんが、「要約」は、各自の文章の個性や読解力が現れます。

意識とか関心とか教育とかでまとめる

結論が、あまりに当たり前な正論であっても評価は低くなります。なぜなら、そういうことはレポートを書く前から分かっているからです。

環境問題をテーマとしたレポートでは、次のような構成のものが多く見受けられます。

  1. ネットや書物からの引用を並べる
  2. 次のうちの1つでまとめる

引用の方に、「まとめ」を裏付けるようなこと(意識・関心が低いことや重要性が知られていないことが問題の解決を阻んでいる、とか)があればいいのですが、ほとんどはありません。

これがダメな理由は、わざわざ説明する必要もないと思います。前の方で述べた、「頭を使ってない」「当たり前の正論」の両方が当てはまります。

このようなレポートが量産されるのは、学生が情報のほとんどをマスコミと学校だけから取り入れているからでしょう。上のようなまとめ方は、マスコミや教員(わたしも含め)の典型的な語り口であるからです。現在の環境問題では、意識・関心だけで解決できる余地は、あまり多くありません。マスコミや教員(の多く)は、「意識・関心を高めること」しかできませんから、ついついそれを過大評価してしまいます(悪気は、たぶんないのだと思います)。マスコミと学校が与える情報は、そう言う意味で「偏った」ものです。

同じように、ダメな終わり方として、次のようなものがあります。

Wikipediaに依存

Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/)は、匿名のボランティアによる共同作業で作られた(作られつつある)ネット上の百科事典で、無料で制限なしに閲覧することができます。

Wikipediaには英語ほか各言語版があります。上のアドレスは日本語版です。

例えば、ニホンオオカミの項は、次のような構成になっています(2013/02/20現在):

  1. 概要   1.1 特徴
  2. 分類   2.1 別亜種説  2.2 別種説  2.3 ヤマイヌとオオカミ
  3. 生態
  4. 人間との関係
  5. 絶滅の原因
  6. 生存の可能性
  7. ニホンオオカミ絶滅の弊害とオオカミ導入計画
  8. 現存する標本   8.1 日本  8.2 日本国外  8.3 頭骨など
  9. 脚注
  10. 文献
  11. 関連項目
  12. 外部リンク

ボランティアとは言え、興味を持った人が調べた内容を不特定多数向けに書いたものですから、役に立つ内容が多く、私もしばしば調べものに使います。語句の意味など、ちょっとした疑問点の解消に使うには、比較的問題が少ないと思いますが、レポートで使う場合には次のような問題点があります。

Wikipediaの各項目じたいが、「~について」というレポートと同様の構成を持っています。そこで、次のような「ダメなレポート」の合わせ技が容易に生成されます。

  1. 「~について興味を持ったので調べてみた」とレポートを書き始める
  2. Wikipediaの「~」の項目から引用
  3. 自分の感想を最後につける。または、意識とか関心とか教育とかでまとめる

レポートに期待されている情報・データ集め、それらの整理、話の組み立てという作業を全てWikipediaに頼っているようなもので、実質的には他人のレポートを丸写ししたのとそれほど変わりません。そもそもの元凶は、何の問題意識もないままに「~について興味を持ったので調べてみた」というようなレポートにしたことですが。

Wikipediaを使うときに注意すること

Wikipediaの項目からの引用であることを明示して使うこと自体はダメではありません。ただし、(当たり前ですが)Wikipediaの中身が常に正しいとは限りません。特に、意見が分かれるような事柄に関しては、学術的に問題がある項目が、かなりな頻度で見られ、時を追って増加していく傾向があります。

Wikipediaから引用する場合、重要な点については、記述の出典/情報源(ソース)を探して裏を取っておく必要があります。Wikipediaの運営者は記述に対して根拠となる出典を示すことを求めています(Wikipedia:検証可能性wikipedia出典を明記する - Wikipedia)。

ただし、出典明示のルールは守られていないことが多く、また、ネットのヘビーユーザーには、出典を求めることで「Wikipediaがつまらなくなる」「事の真偽を見分けられない人たちを甘やかすことになる」という意見も根強いようです。だから、記述の信頼性が改善される見込みは今のところ薄いと思います。
レポートにWikipediaの内容を引用することには、次のような意見もあります。
渡邊芳之先生@ynabe39の「引用すること」について - Togetter という私には同意できない内容に取れる部分がありますが、示唆に富んだ指摘が含まれています。

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